千反田な小説は読んだ事がある手前、『氷菓』は期待はしてるんですがね。
小説の良いところは、同じ文章でも観察者によって、ある程度の揺らぎの中でさまざまに脳内映像を構築できる点である。
そしてその出来上がった脳内映像も、これまた、物語の流れに応じて揺らいでも誰も文句を言わない。
”千反田”の文章表現は素晴らしく、次から次へと素敵な少女の脳内映像を再生させるので、流れに遅れつつも千反田な小説を手に取ってしまって人は、読み終わったあと、だいたい、googleちゃんに”千反田える”と入力し、画像検索をかけるのである。
そうだろ?
そして、その結果が返ってこないことが、”千反田える”の奇跡だったと思う。
脳内の映像は、揺らいだまま、素敵な少女。
絵にすれば、奇跡は終わる・・・みんなわかってたんじゃねーかね?
あの時ほど、挿絵がないって素晴らしい!!と思ったことはない。
小説を読んでしまった人はまず、揺らぎとアニメ絵の比較が入るんじゃね?
俺の観察結果と違う/大体あってる/そうそうこんな娘・・・みたいな。
哲翁的には、もう少し凛とした感じだったがなぁ。
着物が似合う綺麗な黒髪である点は同意する。
そういう点では、小説を読まずにアニメに入れる人は幸せかも。
(”幸せ”がアニメにあるかはまだわからんですが。)
まぁ、その辺のサイトの掲載画像だけを見ての評価なので、実際はまた印象変わるかもしれません。
それから小説での、主人公と千反田の距離の揺らぎというか。
遠いでもなく近すぎるでもなく。
あれが素晴らしい・・・素敵で面白い距離だと思う。
(決してUPLIFTのようなはっきりさせない関係ではないと思いたい!)
でも、他者様のアニメ感想では、”主人公”が千反田の引力に惹かれ気味のご様子。
大丈夫かなぁ?
>脳内映像
まぁ、そのうち、解かってくるから♪
さぁかぁきぃばぁらぁ~クン。
あれ、このお絵かきツール、初めて使うけど、絵の具の色が楽しいなぁ。
ゆめいろのえのぐ1.35 on Windows 8 CPにて。
合掌。
2012年4月25日水曜日
不確定性原理。
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