2008年05月04日17:15
今日は、曳山祭りの前日で、山宿の見学にやってきました。
山宿というのは、曳山に載る神様達が、祭り前日に各地区の担当になった方の家にお泊りする慣わしで、前回の街歩きの際に「車一台ほどのお金をかけて神様の泊まる部屋を飾りつける家もある」というビックリな解説を聞きまして、興味深深でやってきたわけです。
今回も、観光協会の「山宿巡り」ツアーに予約したので、曳山会館横の臨時観光案内所で受付を済ませ、腰をおろす。
目の前には、東上町の山車「鶴舞山」が展示されていた。
曳山祭りで練り歩く山車は、西上町、西下町、東上町、東下町、出丸町、大工町、の6地区に1山車ずつあり、曳山祭りの前夜(宵祭り)は各地区で飾り付けて展示されます。(飾り山)
日記を書きながら、今後の為に山車の特徴を掴んでおきましょう。
東上町の「鶴舞山」の特徴は、ずばり「鶴」の装飾。
あと、屋根が二段になっている。
※曳山の屋根は、狭い路地を歩く時の為に、左右が反り上がって、屋根幅を小さく出来るようになっている。
御神体は「寿老人(じゅろうじん)」です。でも、結構多かったよ、(ことぶきろうじん)って言ってる人が・・・。
曳山は後ろの方の目も楽しませるために、「見返し」と言って、屏風のような飾りを持つものがある。稚児(子供)が遊ぶ姿などの、めでたい装飾がされている。この「鶴舞山」のレリーフは1791年製だそうで。
寿老人の山宿です。
山宿は、表の道路から見えるように飾り付けされています。
奥に座ってるのが寿老人様。手前は仕掛け人形。
壁面には、見事な屏風を飾り、畳は新調、家の宝物もじゃんじゃん飾る。
山宿は町内で当番制、各町に家が60軒程あるとして、60年に1回くらい周ってくるそうな。曳山の曳き手さんなんかの飲食・もてなしも山宿の負担だとか・・・。そんなわけで城端の銀行には、山宿関連の商品があるらしい。
ちなみに私には屏風や書の観覧ポイントなんぞさっぱり判りませんが、写真の手前上の二文字の書は「寿老」と書いてあるらしい。(翌日、たまたま友達を連れて観覧中だったオハラさんの話に、聞き耳を立ててみました)。
こちらは曳山ではなく、祭り行列の先頭に立って邪気をはらう剣鉾です。
地区は新町。
じょうはな座にやってきました。
ステージにお神輿が祀られており、ここが曳山祭り中の仮の神殿となるようです。
儀式として各町の今年の庵唄が神様に奉納されます。
こちらの神様は資料によれば、春日・石清水(八幡)・神明宮だそうで。
神明宮って誰を祭っているのか調べてみたら、天照大神様。ずばりか。
つまり哲翁的に見れば、最高神の天照大神、氏神の春日神(タケミカヅチ・フツノカミ・天児屋根命)、崇敬する八幡神(応神天皇・神功皇后・宗像三女神)という事に。うちの神棚と同じ。
一番目は、前回稽古を見学した西下町の庵唄。覚えて歌ってみたいと思うのだが、何度聞いても、覚えられない独特のメロディー。難しい。
大工町「千枚分銅山」の関羽と周倉。
先ほどの宿にもあった手前の花は、朴葉味噌で有名な朴の木だそうです。
周倉さんの長刀には蛙がおり、この山が一番山の時には雨という噂も。
山車の見返し。「孫悟空か?」とか思ってたんですが、資料によれば、スサノオ様のヤマタノオロチ退治だそうです。
西上町「竹田山」の恵比寿様。
こちらは朴の花が開花。
日も落ちて、お祭りらしい雰囲気に。
こちらの特徴は唯一見返しがないシンプルさと、蔓柏の紋様。
西下町「諫鼓山」の堯王様。
山車の特徴は三方唐破風の屋根。
あと、雷轟丸とじべた?
東下町「東耀山」の大黒天様。
山車の特徴は前後唐破風の屋根。
天井は格子状になっています。
細かい装飾も楽しい。
ちなみにtrue tearsではこんな感じ。
この東耀山をしっかり作りこんで、6基コピペのようです。
すげー、ちゃんと格子天井だ。
出丸町「唐子山」の布袋様。
左壁にある、曳山祭りの様子を描いた屏風が楽しい。
同じく前後唐破風の屋根ですが、天井は格子状ではありません。
帰り際、「明日の庵唄所望体験に若干空きがある。」とのことで、予約。
おかげで、14時までに城端にこなければならん事になった。
実は、明日は白鳥の長滝白山神社の祭りで、御朱印を頂いてから城端に戻るつもりなのだが、R156の混雑を考えると10時には向こうを出なければならない事になる。それまでに朱印ゲットできるかなぁ。
さぁ、今から白鳥道の駅まで走って、車中泊だ。
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