2008年07月19日
◇00:30 「出発」
仕事から帰って、”さあ一寝入りして深夜の出発に備えようか”と思っていたのですが、財務省より黒柴のシャンプーを仰せつかったので、お風呂で犬と格闘である。
そんなこんなで、予定より30分遅れての出発となる。
高速料金節約の為に、石川の森本ICまで下道で走っていたのだが、美川ICまで来たところで、あきらめて高速に乗った。よく考えれば、距離が距離だから、手早く高速道路にのって、燃費をあげてガソリン代を浮かすほうが得策である。ETCの深夜割引が効くしね。
体調はすこぶる快調で、「名立谷浜SA」まで走って最初の休憩をとった。
そーさなぁ、以前小樽に行ったときみたいにヒッチハイカーでもいれば、話し相手に乗せてやるのだがな。しかし、哲翁だったら、この”無差別殺人”とか”意味不明の親殺し”の御時世に、他人様の車に乗りたいなんて思わないなぁ、ぶるぶるッ、ちょっと怖くなった。
◇04:30 「夜が明けるぞ」
長岡ジャンクションを越えたあたりで、空が明るくなり始める。
そろそろ、太陽が昇る前に仮眠を取っておかねばならない。
太陽さえなければ、エンジン切ってエアコン無しでも寝れるから。
6時頃、磐越道に入って五泉、安田ICを超えた。
ここから東北自動車道までは、未体験の道路である。
少し山の中にあるパーキングに停車し、仮眠をとる。
◇08:00 「お天道様、登場」
山の稜線を超えて登場した太陽のおかげで、暑さで目覚める。
前回の高山の旅の途中で、直径8cmほどの円筒状の枕を買ったのですが、これがなかなか心地が良くて、目覚めが心地よい。
世間一般に言う”硬枕”というのに近い使い方で、延髄に当てて寝るとすっきりするので気に入っている。
ここからは、大きなSAで休みながらの走行にした。
途中の福島とかだって、初めて訪れる場所だから、勿体無くて・・・。
◇11:30 「つわものどもが夢の跡」
中尊寺参道前の駐車場に車を止めて、看板を頼りに金色堂に向かって歩き始める。
参道は、大きな杉の木陰になっており、快適であった。
沿道には、地蔵や薬師如来、神社など、小さなお堂がいくつもあって、それぞれのお堂の前に、小さなみやげ小屋があり、”御朱印はこちら”の張り紙もしてある。
しかし、とりあえずメインの金色堂を見てからということで、素通りする。
◇12:00 「中尊寺・本堂」
ちょうどいい時間に、お参りに来たのかもしれない。大勢のツアー客がこぞって参道を帰ってゆき、少し静かになった。
ところで金色堂はまだ奥ですか?
本堂から参道に戻って、もう少し行った所で、資料館と金色堂があったのだが、哲翁は知りませんでした。
金色堂がさらに大きなお堂(覆い堂と言うらしい)に収められてるなんて!
コンクリートで出来た覆い堂。
この中に金色堂があり、ガラス窓で仕切られている。
結構ショックだった。
緑の中に、金色のお堂が輝いている姿を想像していたもので・・・。
覆い堂は、鎌倉時代には既に木造のものが建っていたそうである。
芭蕉の見た金色堂も覆い付だったのである。
”まだ木造のほうが趣があっていいよなぁ”と思いながら、見学を終えた。
しかし、金色堂自体は見事なものです。
資料館で上映していた”昭和の大修復”の様子に見入ってしまった。
精霊舟に何か生かせないかな。
◇13:00 「各お堂を周る」
この金色堂の周辺は、杉に囲まれた丸い緑の広場のようになっているのだが、この参道の感覚が、とても福井の平泉寺(へいせんじ)に似ているような気がしてならない。奥州藤原氏は、白山信仰に熱心であったようだし、まぐれではないのかもしれん。詳しく史実を見れば判るのだろうが、ま、あとで。
やはり、山の守り神として、白山神社が祭られているが、祭神はイザナキ様とイザナミ様だけだそーな・・・。
あれ?菊理姫は?
舞の舞台も備えた、大きな境内である。
それから、参道を戻りながら、沿道の大日如来や薬師如来に手を合わせる。
薬師如来さんの土産屋台の上で寝ていた猫。
仕事中の住職さんの猫を預かっているのだそーな。
写真は結構だけど、触られるのはストレス溜まるから嫌なのだそうである。
釣られて、家族へのお土産にお守りを買ってしまった。
八幡様。
八幡様は、現在の天皇家の祖先神にあたるものであるし、源氏が氏神として祭っていたものでもある。つまりこの奥州では、八幡様は源氏による占領の証。ちょっと複雑な気持ち。
この近くに蕎麦屋があったので、入ってみた。
蕎麦は北陸には叶わないとして、ここの店員のお嬢さんのお一人が、ミッキーマウスグッズをたくさん身に着けていたのが気になって気になって・・・。
◇15:00 「いざ、遠野へ」
本日宿泊予定の遠野の民宿「曲がり家」は18時30分から食事と言っていたので、17時には着くようにと思い出発。平泉町内の遺跡とか資料館とか回ろうと思ったら結構時間が必要そうです。
中尊寺を出てすぐ、”寝巻きのジャージ”を忘れた事に気付いて、近くのジャスコに入った。ちょうど浴衣フェアで甚平が1980円だったので、古民家という宿の景観に配慮して甚平にした。しかし安いもんですね。
山を越えて、車は遠野の盆地の中へ。
道の駅で、遠野のパンフレットをゲットしようと思っていたが、疲れたので宿へ急ぐ。
道路脇に民宿「曲がり家」の看板を発見。
えー?砂利道入るの?ホントにここ?
砂利道を登っていくと、りんご畑に出た。
おっ!着いたッぽい・・・玄関何処だ?
家の周りをうろちょろして、ようやく玄関を見つけた。
民宿の方が出迎えてくれた。
「本日はどうもありがとうございます。ちょうど哲翁さんが予約の電話を下さった日に、キャンセルがいっぱいあったんですよ。」と教えてくれた。
地震の被害が、岩手全体に及んでいると思っている人は少なくないようだ。
部屋に通されて、良い意味で驚いた。
古民具や本が所狭しと並んでいる。
扇風機が飯台のうえに。
頭上には裸電球。
外からはひぐらしのこえ。
雰囲気がたまらなく好みです。
それから、夕食前に風呂に入る。
◇18:30 「夕食」
囲炉裏を焚いていても暑くない・・・妖怪にだまされているのだろーか?
今日のお客は、私のほかに、夫婦1組とお母さん3名のグループで全部で6人。
食卓では、民宿の主人が楽しいおしゃべりで料理や遠野の話をしてくださった。お膳に並ぶのは野菜・山菜の料理、そこへ主人が
「はい、お兄、囲炉裏で焼いた山女(ヤマメ)!」
と串を差し出す。美味しい!
遠野の地ビールも美味い!
主人の話の中で、「火を扱う仕事なので、静岡の秋葉神社に泊りがけで行った」という話があった。うむ、次の旅はあやり遠山郷・秋葉神社・差鳴湖コースかな。
◇20:00 「語りべ・菊池タマさんの昔話」
ちょうどこの日は、お母さんグループの要望で、遠野の民話を聞かせてくれる語りべさんをお願いしていたそうで、短い時間でしたが、皆で囲炉裏を囲んでオシラサマの馬と少女のお話や河童、座敷童子のお話などを聞かせていただいた。遠野の訛りで話してもらいましたが、聴き取れるものですね。
なんともいえない素敵な時間を過ごした気がします。
菊池さんが帰られてからまた御主人が談笑してくださったが、すぐに22時となり就寝の時間。
布団に入ったとたん、シャットダウンしてしまった。zzz
0 件のコメント:
コメントを投稿