石見銀山の案内所について、いざ龍源寺間歩を目指して歩き出したその時に、案内所の方に呼び止められた。
『どちらへ行かれますか?』
『え?龍源寺間歩へ・・・。』
『ああ、龍源寺間歩は今安全対策を施していて入れなくなってます。』
『あらー。』
『もしよろしければ、龍源寺間歩まで行かないんですけど、途中までガイドが今から案内しますので一緒に行かれませんか。』
『へー、じゃぁお願いします。』
『ではこちらへどうぞ。これをかけてください。』
そんな感じで、ぞろぞろと散策開始。
「ちょうどいい運動だなぁ。」
「まあねぇ。そういえば博士って、やっぱ近所のコンビニまで歩いたりする?」
「コンビにもスーパーも近所は歩くなぁ。」
「いいなぁ、筑波は。歩いていける距離にコンビニがあって・・・。」
あれが銀産出のメインの山らしい。
とある船の御頭が、山の頂がきらきら輝くのを見つけたのが始まりとか。
明治政府が銀を増産するために外国に学んで精錬所を建てたが、既に銀は殆んど掘りつくされたことが調査で明らかになると、閉山へ。
大戦でも資金源として再注目されるが、無いものは無く・・・。
ということらしい。
あれですよ、お金無い時にとりあえず何度も財布の中を確認するみたいに、とりあえず銀山掘ってみるということが行われたみたい。
・・・鳩山さんも銀山掘ってみたらどうですかね。
・・・50兆円ぐらい出てくるかも。
・・・。
・・・2万5千円分でいいから、哲翁が銀掘りてぇ!
神在月が終わると出雲も本格的な冬になるということで、寒いですな。
ガイド散策も終わって、いい時間なので昼食。
出雲蕎麦ってやつです。
『さて、次はどうしますかねぇ?』
『出雲市駅に向けて戻り始めるか?でもちょっと早いなぁ。』
『次回の神迎祭の為に、あの海岸下見しておこうよ。』
『なるほどね。』
いざ、稲佐の浜を目指す御一行。
今回は、博士が空港で借りてきたレンタカーなんですが。
最近の車は、車内が無駄に広くて、いいですね。
『おお、ここが稲佐の浜か。』
『この駐車場は、祭りの日も使えるのかなぁ?』
『いやいや、いっぱいだろう。』
『車をどこに止めるかが問題ですねぇ。』
一向はそのまま車を走らせて日の御碕へ
『なんか、東尋坊みたいね。』
『北陸人にのどぐろ勧めるとか・・・くくく。』
『なんか干してある・・・あれは・・・鮫?』
灯台から眺めてみました。
まさしく東尋坊っぽい。
この沖から、東尋坊へナホトカ号の船首と油がどんぶらこぉ~どんぶらこと。
最後に、神社で御朱印を頂いて出雲の旅は無事閉幕したのでした。
『じゃ、今度は常陸であんこう鍋パーティってことで!』
『まじで?!』
>そして次週へ。
12月19日の『高専カンファレンスin長野』参加の旅程表作成のため、日記が後手後手に。
そして、今日から一週間忍野村へ出張だす。
クリスマスを遠地で迎えるのもなかなか乙ですよね。
富士山の麓でとか、なかなかないのだぜ?
合掌。
2009年12月21日月曜日
石見銀山。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿